商州への旅
〜中国の「宝塚古墳」・東龍山一号漢墓を掘る〜



 日本人にはほとんど馴染みのない都市の名前である。中華人民共和国陝西省の省都西安の南東90qほどに位置する地方の小都市である。 現在私はこの地で三重大学の学生2人、広島大学の院生1人と前漢時代の地方「王」の墓・東龍山一号漢墓を発掘調査中である。 もちろん地元陝西省考古研究所の皆さんと一緒の調査である。一地方国立大学が中国で発掘調査をするなど「前代未聞」の大事件である。 それを可能にしたのは今日の国立大学が置かれている微妙な立場である。

 「独立法人化」という、戦後五〇年を経た新制大学に対する「構造改革」の嵐が目前に迫って、全国の国立大学は厳しい生存競争に晒されている。 東大や京大など旧帝大は別として、地方国立大学が生き延びるために打ち出す方向性は似かよらざるを得ない。 「地域連携」「国際性」などが次々と叫ばれている。しかしそれらは依然としてスローガンにとどまっているのが現状である。 いかにそれを実行するかはまだ未知数である。その大胆な第一歩を三重大学が踏み出したといっても過言ではない。 国際性を積極的に実践しようとする立場である。

 陝西省は日本でいえば奈良県や京都府に相当する古代中国の中枢部をなした省である。 あの有名な秦始皇帝の兵馬俑は西安の東三〇qほどのところにある。今回も調査中の最新の俑坑を見学することができた。 もちろん言うまでもなく、秦・漢以後の中国の首都はこの西安の地・長安に置かれた。 中国五千年のロマンを訪ねて多くの外国人観光客がひっきりなしにやってくる。 しかし、ここ商州市へ来た日本人といえば数えるほどしかない。

 長安から東へ抜けるには渭水沿いに有名な函谷関を通り、洛陽に抜ける道がある。 一方南東、揚子江方向へ抜ける道の一つがここ商州を経る道であった。その県境に置かれたのが武関である。 文化大革命の嵐で大半は失われたが、今もわずかに関に設けられた土塁の一部が残る。 まさに首都長安を護る重要な関所の一つがこの地にあったのである。

 伊勢国には有名な鈴鹿関がある。首都平城京や長岡京・平安京を護る東の最重要関が鈴鹿関であったことは余りにも有名である。 日本の鈴鹿関に当たる関所の一つが武関なのである。私たちが発掘調査しているのはまさに日本でいえば伊勢国を治めた人物の墓なのである。 さしずめ松阪市の宝塚古墳を発掘調査しているようなものである。

 なぜそのような重要な地が中国の人々にさえ忘れ去られていたのか。鉄道が敷かれなかったからである。 今ようやく西安と南陽を結ぶ鉄道新設工事が進められている。 私たちが発掘中の前漢代のお墓が、新鉄道に乗ってやって来る人々にこの地の歴史的重要性を物語ってくれる日も近い。 三重県や松阪市とこの地が友好都市を結び、毎年三重大学生を始め多くの三重県の人々が訪ね、お互いの歴史を強く印象づけることができれば、 これこそ、地域性と国際性を実践する最良の場といえよう。そんな日の来ることを夢見て中国の台地と悪戦苦闘中である。

(2002.4.21 伊勢新聞掲載)


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