佐原眞さんを亡くして
〜考古学はわかりやすくなったか〜



 7月10日朝、国立歴史民俗博物館前館長の佐原眞さんが亡くなった。私たち考古学をやっている者にとっては肩書きなどいらない。 「佐原さん」というだけで声や仕草が脳裏に浮かぶそれほど存在感のある方であった。まだ70歳の「若さ」である。寂しい。

 私が佐原さんと初めてお会いしたのがいつだかまったく覚えていない。 歴史考古学をやる私には尊敬する先生ではあっても、弥生時代がご専門の佐原さんにお近づきになってお話を伺う立場にはなかった。 ところが前任地の京都府向日市に「資料館」を造るという話が持ち上がり、担当を命じられた私は、 当時解りやすい展示、わかりやすい考古学を主張され始めていた佐原さんに思い切って相談に伺うことにしたのである。

 奈良国立文化財研究所の研究室を訪れるといつものにこやかな顔で迎えてくださった先生は、次々と展示のアイデアを披露して下さった。 本棚の間にまで堆く積まれた書籍の中から「発掘」と称して、日本の各地は言うまでもなく、 世界中の資料館のパンフレットや展示図録を「掘り出」されながら、自らスケッチを示して「展示とは」を熱く語られた。 その姿は今でも鮮明に覚えている。お陰で向日市文化資料館は長岡京をメイン展示に当時としては「わかりやすい展示」のモデルとまで言われ、 高い評価をえた。

 これを機会に親しくなった私はことある毎に佐原さんのお部屋を尋ね、ご相談にのっていただいた。 今三重大学にいるのも先生のお陰であることは言うまでもない。

 佐原さんの情熱によって全国に博物館、資料館が建設され、わかりやすい展示が展開されるようになった。 難しい専門用語で見る人、尋ねてくる人々をはぐらかしていた考古学関係者も、徐々に日常用語で遺跡を説明できるようになってきた。 まさに考古学ブームの火付け役でもあったのである。しかし今足元を見てみると、マンネリ化した発掘調査や惰性化した現地説明会資料が蔓延している。 佐原さんが仰った「わかりやすい」とは、「専門的なことを十分咀嚼して濃い内容をうまく伝える」ことだったのにも関わらず、 今では「簡単に」「平板に」伝えると誤解されてしまっている。困ったことだ。

 ところで三重県には佐原さんが理想とされた「わかりやすい展示」のされている「博物館」は残念ながらない。 しかし三重大学には五十年以上の歴史によって蓄積された素晴らしい資料が眠っている。 なんとかこれを県民の皆さんに還元することができないか、方法を模索中である。 もう先生の指導を仰ぐことはできないが、三重大学と三重県とが協力して世界中の人々から注目される「みえ博物館」を造る、 というのがわたしの理想である。先生への私からのささやかな恩返しでもある。心からご冥福をお祈りしたい。

(2002.7.21 伊勢新聞掲載)


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