猪名部百世
〜大仏殿建立の立て役者〜



 今年は大仏開眼一二五〇年目の節目の年である。伊勢国が大仏金メッキ用の水銀を提供し、大きな役割を果たしたとについては先に述べた。 ところで文献によれば、伊賀国出身者として大仏殿の造営を担当した名工 猪名部百世いなべのももよの存在が知られる。

 彼は東大寺造営のために設けられた大規模な建設部局(造東大寺司)に大工として所属していた。 神護景雲元(七六七)年、称徳天皇の東大寺行幸に際して、地方豪族としては最高位に属する外従五位下という位をもらったのも、 大仏建設の功績が認められたからだろう。その後トントン拍子に出世し、一説によれば伊勢国の国司(現在の県知事)にまでなったという。

 桑名市の西に員弁郡があり、大安町や東員町等多くの町が広がっている。 員弁の文字は和銅六(七一三)年に全国の地名が「好字」二字に書き改められて以後のもので、本来は猪名部郡であったものと思われる。 猪名部は木工技術に長けた人々の集団で、中央の猪名部氏に率いられていた。 『日本書紀』などにも有能な大工として度々登場し、古くからその技術が知られていた。 伊勢国員弁郡には猪名部姓の人々が多く資料に登場する。

 なぜ伊勢国や伊賀国に猪名部氏が多いのかについて定説はない。ヒントの一つは、員弁郡に広がる大安寺の領地である。 大安寺は日本初の国営寺院・百済大寺くだらおおでらに起源を持つ寺院で、 当時最も権威のあるお寺であった。 員弁郡の土地が大安寺に収められたのは天武天皇の時であるが、その背景には員弁郡と中央政府との強い繋がりがある。

 大和から東国へ抜けるには二つの重要なルートがあった。後に関所が設けられる不破関の東山道と鈴鹿関の東海道である。 員弁郡には二大関所間を南北につなぐ道路(現在の国道三〇六号線に相当か)が通過していた。 この重要路を守るために大和王権の息のかかった人々が配置されていた。これこそ猪名部だと考えるのである。 猪名部氏は隣接する桑名郡に所在する伊勢国最古の寺院・額田廃寺建立に中心的役割を果たしたに違いない。 猪名部百世は伊賀国の人と伝えられるが、当地一体には有能な工人が多数居住し、その技術でもって国家に奉仕していたのである。

 今年の正倉院展のテーマは大仏開眼と日韓友好であった。 猪名部の名の載る文書や伊賀・志摩国の税帳等多くの三重県関係の資料が展示され、私たちの目を楽しませてくれた。

(2002.11.17 伊勢新聞掲載)


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