干支えと物語
〜甲子園から壬申の乱まで〜



 甲子園といったら阪神タイガースを思い起こす人が大半であろう。しかしその名の由来を知る人は意外と少ない。 「甲子」とは中国の暦の始まりを示す干支に由来する。

 そもそも干支とは十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥) の組み合わせを言う。それぞれの最初甲と子を組み合わせたものが「甲子」である。

 中国の人々はこれらを組み合わせてできる六十種類を暦に用いる数字とした。六十歳のことを還暦というのも干支が元に戻るからである。

 さて甲子園球場が完成したのは大正十三(一九二四)年八月一日のことであった。 当初枝川運動場の名称で出発したが、竣工時に「甲子園大運動場」と命名されたのである。 一九二四年が「甲子」年であったからである。私の母の生まれた四日後のことであり、私はその二四年後、戊子(一九四八)年に生まれた。 ちなみにこの年の全国中等学校野球大会(現高校野球)は第10回にあたり、優勝したのは広島商業であった。

 最近紙上をにぎわしたニュースに『飛鳥の石神遺跡から「乙丑」年の木棺出土』があった。 西暦六六五年に当たるこの年に美濃国武儀郡(現岐阜県関市一帯)から送られてきた荷札が出土したという情報である。 最新の研究では、国(現在の都道府県に相当)という表記は、天武朝以降とするのが定説化しつつあったからである。

 その天武天皇が権力を奪取した内戦が西暦六七二年の「壬申の乱」であることはよく知られている。 「壬申」というのも十干と十二支九番目の「壬」と「申」を組み合わせたものである。 数えてみたら分かるように乙丑年から七番目の組み合わせが壬申年である。

 さて家庭ではそろそろ年賀状作りが慌ただしくなってきているところだろう。 最近でこそ目立たなくなくなってきたが、私が頂く賀状には、考古資料から題材を採った十二支関連の図像が、版画などで見事に彫られている。 来年の干支は「ひつじ」である。きっと、平城京で出土した羊の頭を飾りに付けた硯の絵や、正倉院宝物の中にある羊の絵があるに違いない。 来年の干支の正確な表記は「癸未」である。もちろん私の年賀状の最後には「癸未(二〇〇三)年」と書くつもりである。

 みなさん方の生年の正確な干支は何?これらをヒントに考えてみてはいかが。

(2002.12.15 伊勢新聞掲載)


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