日本最古の風呂
〜昔の坊さんは風呂好きだった?〜



 僕の風呂嫌いは有名である。そもそも子供の頃、我が家には風呂などなかった。 三日に一度程度銭湯に通うか、夏は行水と決まっていた。生来のずぼらな性格からか、私はどちらも大嫌いだった。 特に寒がりの私は、冬など銭湯の行き帰りがイヤで仕方なかった。 学生時代など、金もないし、空腹を押してまで風呂に入る気など毛頭起こらなかった。

 さて、日本人の風呂好きは有名である。今日の温泉ブームも火山国日本ならではであろう。 風呂嫌いな私も、最近、温泉だけは結構気に入っている。では日本人はいつから風呂に入り始めたのだろうか。 こんな疑問を学生にぶつけると「エッ」と絶句する。さもありなん。彼等は毎日お風呂に入らないと気が済まない連中だからである。 当然原始の昔から人間は風呂に入ってきた、と思っているのである。そんな馬鹿な!!縄文人や弥生人が風呂に入ったはずがない。 無駄な燃料を使うくらいなら、調理に使うに決まっているのだ。

 温泉好きの天皇として知られるのが皇極(斉明)天皇である。 彼女が初めて有間温泉にいったのが舒明三(631)年、道後温泉へは639年に訪れている。 その後、日本の運命を変えた朝鮮出兵に際しても、661年、道後温泉へ寄っている。 唐・新羅連合軍との大戦争を控えて温泉とは暢気なものだが、病気がちな彼女が温泉治療に赴いたという説が有力だ。

 風呂の現存最古例が東大寺の大湯屋である。一二三九年に建造され、現在のものは一四〇八年に改修されたのものだという。 つまり鎌倉時代の初めには大寺院を中心にお風呂(湯屋)が設けられていたのである。 文献史料によると湯屋を持つ施設はいずれもお寺である。坊主は風呂好き?いやいやそうではなさそうである。 湯屋をもつ寺は東大寺など、国や天皇によって建立された大寺院ばかりである。風呂は特定の階層にのみ使用された特別の施設だったのである。 天皇が参詣する前に身を清めた施設ではなかろうか。

 そんな考えに応えてくれたのが京都府向日市の宝菩提院廃寺跡から発見された九世紀後半の風呂跡である。 井戸、脱衣場、炊き場、風呂釜設置場所、湯浴み場などが揃って寺の中心伽藍の北西部から見つかった。 廃寺の建立は七世紀後半、天武天皇の時代に遡る。 しかし隆盛をみたのは桓武天皇の時代で、長岡京の建設に合わせて、天皇家のお寺として手厚い庇護を受けたのである。 風呂は九世紀後半に廃棄されているが、できたのはもう少し以前のことと推定される。 桓武・嵯峨両天皇は平安京遷都後も度々長岡京の北郊大原野に遊猟する。狩りの疲れをこの湯屋でほぐすこともあったのではなかろうか。 そんな思いを起こさせてくれる発見であった。

(2003.6.15 伊勢新聞掲載)


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