正倉院宝物が失われたら
〜イラク国立博物館の略奪に思う〜



 二〇〇三年四月十四日信じられない光景が目に飛び込んできた。 アメリカ軍がバグダッドへ侵攻して間もなく、イラク国立博物館が多数の「市民」によって襲われ、収蔵資料の大半が略奪されたというのだ。 その後の報道によれば、現場にはガラスカッターが放置され、目撃した館員によれば「プロ」が主導していたという。 さらに驚くべきは、侵攻したアメリカ軍が、現代の宝石・石油を管理するイラク石油省の建物は完璧に防御し、 一切の略奪を許さなかったのに対し、博物館の防御は「命令されていない」と拒否したというのである。 どんなに「正義」を振りかざしてみても、ここにイラク戦争の本質が透けて見えてくる。

 戦争が始まり、連日報道されるチグリス、ユーフラテス川という名前を聞いて「アレッ」と思った人は多かったに違いない。 イラクは世界四大文明発祥の地、メソポタミア文明の中心地に位置する国なのである。 その出土品の大半が国立博物館に保管され、研究されていたのだが、追跡を防ぐために収蔵リストや発掘調査記録までもが略奪されたという。 こうした事態を予測して、ユネスコを始め一線の研究者達は開戦に強い懸念を表明していた。 同様の事態が、直前に起こされたアフガン戦争で発生していたのである。

 戦後、「勝利」に酔い、「戦争の正当性」を美化する「支持国」に冷水を浴びせかけたのが先の略奪シーンであった。 失われて初めて事の重大さに気付いたのである。日本にたとえれば、正倉院宝物が略奪されたに等しいのである。 「戦勝国」は、責任逃れのための言い訳に終始し、挙げ句の果てに「略奪も自由の表現の一つだ」と言い出す始末である。

 文化遺産にとって戦争が「敵」であることは歴史が証明している。 日本も例外ではなく、応仁の乱により、京都に残されていた数多くの歴史遺産が失われたことはあまりに有名である。 明治維新に際し、廃仏毀釈はいぶつきしゃくの風潮が全国に及び、神道を重んじるあまり、 多くの貴重な仏教寺院が破壊されたことはあまり知られていない。 太平洋戦争末期、日本全土が空襲され、各都市の象徴であった天守閣が失われたのも、単なる軍事的目的だけではなく、 戦意喪失をねらった意図的な文化破壊であろう。 近代人はこれを防ぐため、ハーグ条約を作り、戦時下における文化財の略奪や文化財が集中する地域での戦争状態を禁止した。 しかしイラク戦争でも条約は守られなかった。

 さて失われた文化財のために我々は何をなすべきか。既に研究者を集めた対策会議が準備されている。 果たして戦争支持国の我々日本人は研究者に「復興」を任せるだけでいいのだろうか。 私は復興のための募金を呼びかけて償いたいと思う。日本政府にユネスコへの基金拠出を働きかけると共に、国民一人一人の募金を求めたい。 お寄せいただいた基金はユネスコに託し、イラクの文化復興に役立てたい。 募金は、郵便振替:00850−5−88621 山中章(メモ欄に「イラク文化財復興基金」と明記下さい)でとりまとめています。

(2003.5.18 伊勢新聞掲載)


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