なぜ遺跡は地下にあるのか
〜地球から山が消える日〜



 「以前から不思議に思っていたのですが、どうして発掘するのですか」

 「?。発掘の目的ですか」

 「いえいえ、なぜ『掘らないと』遺跡は出てこないのですか。昔のものが地下に埋も れている原因は何ですか」

 最近、こんな質問を同僚や友人からたて続けに受けた。意表をつかれた質問であった 。「常識」と思っていることが専門外のところではまったく「不思議」なことだったの である。

 実はこんな疑問に対して実験を試みた研究者もいる。軒先にバケツをぶら下げ、中に 一年間でチリや埃がどれだけたまるかを量ったのである。

 その結果、一年間で〇・一ミリだったという。十年で一ミリ、百年で一セ ンチである。なかなか魅力的な実験結果にみえる。

 ところが、発掘調査をしている者には違和感があった。たとえば平安京は今から千二 百年ほど昔に建設された都だが、左京では三メートル、右京では一メートル前後まで掘らないと遷都当時の遺構は出てこない。 自然界に舞うチリの堆積量をはるかにしのぐ上に、地層の中に様々な遺物が含まれているのである。

 さらに、同時に工事が進められた左京と右京とでは埋没の仕方がかなり違うのである 。もっと不思議なのは直前の都・長岡京(七八四−七九四年:平安京の南西約十キロ に所在)では、大半の遺跡が現在の水田の下約三十−四十センチで出てくるので ある。どうしてだろうか。

 両都で異なるのは、建設後の人間の利用状況であった。長岡京は廃都後全面的に水田 に戻されたが、平安京では現在まで人々が住み続けた。水田は一度造ってしまうと土を 入れる必要性はまずない。だから長岡京では水田直下に都の跡が出てくる。

 ところが平安京の左京には多くの人々が住み続けた。その間大規模な火災が何度も起 こり、都をなめ尽くした。火災の度に跡片づけをし、近くの丘から土砂を運び込んで整 地し、新たに家を建てたのであった。

 一方、右京は十世紀には住民の数が極端に減少し、ゴーストタウンのような有様だっ たという。廃屋は長く放置され、しばらくして畑や牛馬の放牧地と化した。家を建てな いからさほど多くの土砂が堆積しなかったのである。

 私たちが「掘る」理由は人間の住宅建設に要因があったのである。

 「エッ、そんな風に(丘から土を運び)家を建て続けていたら、地球はどんどん平ら になるのじゃないの」

 「その通り!いつか地球からは『丘』が消えるんじゃないですか」 お互いに顔を見合わせて問答は終わった。

 地球は本当にこのままでいいんだろうか。発掘する度に抱く感慨である。

(2002.10.20 伊勢新聞掲載)


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