三重大学に遺跡があった!
〜浜辺に暮らす弥生人・古墳人〜



二〇〇三年七月二日は、三重大学考古学研究室にとっての新たな記念日となった。

 三重大学人文学部は今年四月に創設二〇周年を迎えた。と同時に考古学研究室も同じく成人となったのである。 その記念すべき年に待望久しい「校内遺跡」が見つかったのである。 全国の大学の大半は校内に何らかの遺跡を抱えている。例えば東京大学は有名な加賀藩の江戸屋敷跡にある。 我が母校広島大学の西ガガラ遺跡は旧石器時代のものとして著名である。 にもかかわらず三重大学には遺跡がないと言われてきたのである。 理由は簡単で、「こんな浜辺の近くに人が住んでいるはずがない」というものであった。

 私は「古代土器製塩」も一つのテーマとして研究している。日本では海水を煮詰めて塩を作るのが一般的である。 塩作りは、弥生時代中頃(二三〇〇〇年前)に、朝鮮半島から現在の岡山県中部に伝わり、本格的な塩生産がはじまった。 弥生時代後半期には大阪湾や周防灘に技術は拡散し、古墳時代にはいると若狭、尾張、三河などにさらに拡大する。

 三重県には古代の塩関係の遺物に「志摩式製塩土器」と呼ばれる特異な形態の土器が知られる。 海水を煮詰めて作った塩(散状塩)をもう一度容器に詰めて焼くと極めて堅く焼き固まる。 志摩式は「焼き塩」用の容器である。ところがこの土器に詰める塩がどこで生産され、焼き塩に加工されたのか、全く不明であった。 何とかこの遺跡を見つけてやろう!これが三重大学に来て以来の一つの重要なテーマであった。

 そんな大学校内のど真ん中に位置する地点から大量の土器が見つかったのである。 一部弥生時代後期のものを含むが、大半が三世紀末の古墳時代前期のものである。 ちょうど土器製塩の技術が東海地方に伝わる頃である。出てくる土器に目を凝らして注意をするのだが、今のところ製塩土器は発見できない。 珍しいのは、土錘がたくさん出てくることである。網の下にぶら下げるおもりである。 円柱状のものと球形のものがあり、重さも百g弱から四〇g前後と異なる。 大学校内のもう少し西側(生物資源学部や本部のあたり)に集落が構えられていて、農閑期には海辺で魚捕りをしていたのではなかろうか。 捕った魚を保管するためにも塩は不可欠なはずである。 大学校内のもう少し海寄りに製塩遺跡があるのではないか?期待は大いに高まりつつある。

(2003.8. 伊勢新聞掲載)


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