自由奔放の斎王
〜酒人内親王〜



 三重県には斎宮跡という広大な国の史跡がある。斎宮で生活し、祭事に関わった斎王には様々なエピソードがある。 中でも私が最も興味を抱いているのが、井上、酒人、朝原の三人である。 いずれも天皇の子で、親・子・孫と血がつながっている。

 井上内親王は聖武天皇の娘である。しかし、母が藤原氏でなかったが故に中央から避けられ、十七年もの長きにわたって斎王を努めた。 二十八歳で帰京した後、皇位とは無関係と思われた白壁しらかべ王に嫁ぎ、 一男一女をもうけていた。

 そこへ、奈良時代末期の政治混乱の中で、白壁王の即位(光仁天皇)という大どんでん返しが起こる。 同時に、井上が皇后に、息子他戸おさべが皇太子に、 娘酒人さかひとが斎王に選ばれた。 井上親子に初めて光が当たったのである。 さあこれからというとき、身に覚えのない嫌疑がかけられる。

 「皇后が天皇を呪い、早く息子を天皇にしようと企んでいる」というのである。 直ちに皇后、皇太子が廃され、幽閉される。母弟の「罪」が問われているにもかかわらず、酒人は斎王として伊勢に赴くことになる。 赴任して間もなく、幽閉中の二人が死んだという知らせが届く。聡明な酒人には予感めいたものがあった。

 「しょせん私たち親子は政治に利用だけされて捨てられるのだ」という思いが強まったに違いない。 二人の死を悲しむ間もなく、酒人は弟に代わって新皇太子となった 山部やまべ親王(後の桓武天皇)を受け入れなければならなかった。

 母弟の暗殺に関わった男に抱かれる。こんな残酷なことがあろうか。 しかし、政治はそれでもなお手を緩めなかった。 二人の間の娘朝原内親王もまた斎王とされ、新京長岡京を見ることなく伊勢の地に追いやられたのである。 三代続いて斎王になる例は、斎王制度六百年の長い歴史の中で、ほかにない。

 三人の中で最もたくましく、自由奔放に生きたのが酒人内親王である。 彼女を伝える史料によれば、「可愛さと同時に麗しさを備え持ち、魅惑的だがとらえどころがなく、扱い難い」という。 桓武天皇をしても制することができず、宮室内には怖いものなしの状態であったという。

  魔性を秘めた妖精のように自由に生きた人であった。その心の奥底には、政治に人生を翻弄された無念があったに違いない。 昨年、東大寺での供養につとめたその姿には言いようのないかげが見え隠れする。

 近年、斎宮跡では八世紀から九世紀にかけて何度も建て替えられた内院跡が発見された。 酒人、朝原二人のものも含まれている。今夏には内院の北、斎宮中枢部の一画が調査される。大発見の予感がする。楽しみだ。

 

(2001.8.19 伊勢新聞掲載)


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