伊豆国の特産品と木簡
〜堅魚節の故郷を訪ねて〜



  先日、長く懸案であった伊豆国の堅魚加工の調査を行うことができた。 静岡県賀茂郡西伊豆町田子にある工場のご主人、芹沢里喜夫さんの案内で、 「手火山式焙乾法」と呼ばれる江戸時代以来の技法で進めるかつお節作りの現場を目に焼き付けることができた。 あらかじめ内臓を取り、ゆでたカツオをいぶしながら乾燥させるのである。

 最も驚いたのは、かつお節作りの歴史に対する芹沢さんの研究心であった。 熱気溢れるかつお節作りの工場の一角には、なんと「伊豆国那賀郡丹科郷多具里物部千足調荒□□ 九連一丸五年九月」 と書いた荒堅魚の巨大な木簡の複製品が置かれていたのである。話を伺うと、そのルーツを訪ねて奈良の文化財研究所まで行かれたという。

 私の研究テーマの一つに古代出土文字史料がある。 文字そのものではなく、文字を筆記した素材(紙や木、土器など)の作り方などを通じて、どこで誰が記したのかを知ろうという研究である。

 平城京をはじめ全国の遺跡から発見される伊豆国の木簡は百五十点を超える。 同じ多具里から送られた「伊豆国那賀郡丹科郷多具里戸主物部大山口物部国万呂 調堅魚十一連九丸」もあり、 奈良時代の地名や民の姓名を詳細に知ることができる。

 これらの木簡を注意深く観察すると、板材加工の技法と地名との間に相関関係があることに気づく。 伊豆国の木簡は大半が上下に切り込みを持つタイプだが、切り込みの作り方や上下の切断の仕方に地域差が認められるのである。

 通説では、荷札木簡は郡で作成し、国(現在の都道府県)を経て中央へ送られるとされてきた。 同一群内に所在する郷からの木簡に筆跡の似たものがある点を根拠にしていた。 しかし、筆跡というのはプロでもなかなか見極めにくいという。果たして古代人の筆跡を素人のわれわれが検討して判別できるのであろうか。

 そこで検討したのが木簡の作り方であった。作り方や書き方が微妙に郷毎に異なるのである。 見方によれば、郷(五十戸で機能的に区切った行政区画)のさらに下に形成された里(実際に人々の暮らす村)毎に違うようにも見えるのである。

 伊豆半島の西岸は特に入り組んだリアス式海岸の発達する地域である。 古代に「丹科郷多具里」と記された地名が、現代においても西伊豆町仁科、田子として残っている。

 芹沢さんの話のよると、田子も良好な漁港で、昭和初期まで大半が漁師かカツオ加工工業を営んでいたという。 世界一の調味料かつお節には、千三百以上の歴史が隠されているのである。日本料理ならではのうま味の秘密は歴史にあった。

(2003.3.16 伊勢新聞掲載)


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