圧巻!バーディン皇城遺跡
〜阿倍仲麻呂の使った井戸?〜



 6月4日から10日までヴェトナムの首都ハノイで7世紀から18世紀にかけての宮殿跡の遺跡調査検討会議に出席してきた。 会議の目的は遺跡をいかにして保存するのか、保存後どのように活用するのかについて意見を述べることであった。

 雨期のヴェトナムは暑いということは予め聞いていた。日本から長靴まで持参した。 幸い雨は降られなかったが、湿気の多い30度を超す炎天下での調査は、厳しかった。 連日朝から晩まで現場で遺跡の詳細な検討作業を繰り返した。観光も土産物ツアーも全くしなかった。 現地の人々もあきれるほどまじめな1週間であった。

 見学した遺跡の正式名称はバーディン皇城遺跡という。 ヴェトナムがヴェトナム人の手によって国家を形成するのが大越国李朝の時代(1009〜1225年)である。 以後19世紀にフランスの支配を受けるまでの900年間ハノイはヴェトナムの都であった。 バーディン皇城遺跡は日本でいえば平城宮跡にあたり、国の中枢施設が集中するところであった。

 遺跡に着いて驚いたのはとにかく残りが極めて良い点であった。 遺跡中に広がる磚(レンガ)は、宮殿の建物や道路、側溝、井戸などあらゆる施設に用いられたものである。 その大半が李朝から陳朝(1225〜1400年)のものだという。 日本でいえば平安時代中期から室町時代前期、古いものは藤原氏全盛の時代に相当する。 日本ではほとんど考えられない礎石建物の基壇がそのまま残り、あちこちに礎石も旧状を維持しているのである。

 磚をつぶさに見ていくと多くに文字が刻まれている。中には×や△などの記号、手書きの文字などもある。 「日本と同じだ!」と思った。今でこそヴェトナム人の大半は漢字を読むことができない。 しかし、ヴェトナムは秦の時代に中国の支配を受けて以後、中国文化に強い影響を受けてきた。文字も然りである。 そもそもヴェトナムという国名も「越南」(ユエ・ナン)から来ている。現在のヴェトナム語の多くに漢字の音と共通するものが認められる。 ますます親しみが湧いてきた。

 中に灰色をした磚に「江西軍」とスタンプされたものがあった。これこそ安南都護府の時代に用いられたものだという。 調査地の一角にはこの手の磚ばかりを使った井戸が見つかっている。「仲麻呂の井戸なんだ!」と思わず手を打ってしまった。 出発前、どのような形で仲麻呂の姿に会うことができるのかと、ワクワクしていたまさにこれがその現実の姿なのである。 もっとも調査はまだまだ続く。仲麻呂の時代はその一部がようやく姿を現しつつあるだけだ。 これからどんなすばらしい発見があるのか目が離せなくなった。

 「また是非来て下さい!」「この遺跡を完全に残しヴェトナム国民に日本の平城宮跡のように見せたいのです!」 考古学者達の熱い思いを聞くだけで手にしたライスペーパーに力が入った。

(2004.7.18 伊勢新聞掲載)


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