中国・江南の変貌
〜オリンピックバブルと遺跡〜



 8月17日から31日まで上海、南京、揚州、蘇州、杭州、成都の古代都市遺跡の調査に出かけていた。 共同研究者である山口大学の橋本義則(日本古代史)・馬彪(中国秦漢史)の3人での実に内容の濃い旅であった。

 私は21年前の夏、ほぼ同じコースを故岸俊男先生(日本古代史)を団長とする都城制研究者の会で訪問したことがある。 文化大革命が終わり、4人組の裁判が始まったばかりの当時は、町に人民服の人々があふれ、 上海ですら赤い服の女性を見かけると写真を撮りまくった時代であった。もちろん車などおんぼろのトラック以外滅多に見かけなかった。 圧倒的な自転車の渦だった。

 どの都市も大変貌を遂げていた。上海には髪を染め、美しい洋服を着た女性が溢れていた。 自転車などほとんど通らない。ワーゲン、ホンダ、トヨタ…外車が溢れ、町は高層ビルで埋め尽くされていた。

 しかし私がもっと驚いたのは蘇州や杭州であった。 もちろん市の中心部には高層ビルが林立しているのだが、日本人観光客が必ず訪れる寒山寺や西湖周辺が一変していたのである。

 21年前にはひなびた田舎のお寺に過ぎず、 楓橋も、これがそんなに有名な橋なのかと思うほどひっそりとたたずんでいた。 ところが、楓橋は蘇州市の観光当局により公園の中に取り込まれ、入園料が徴収されていたのである。

 内部にはあたかも以前からの施設であるかのごとく古風な建物や橋が再現され、取り込まれた運河の一部には遊覧船が観光客を運んでいた。 寒山寺も大盛況で、塔の修理が進行中であった。 受付の僧侶は机の引き出しに隠しながら携帯メールに熱中し、外には渋々付いてきたのかカラフルな頭をした日本の学生が退屈そうに煙草を吸っている。 西湖周辺も大改造中で、あちこちが工事中であった。 おそらくオリンピック時には白堤や蘇堤が掘りで囲われ、多額の入園料が徴収されるに違いない。

 町が美しくなり、裏町からゴミや臭いが消え、明るくなることにどうしてそんなに異論を唱えるのか? きっと中国の行政当局はそう文句を言うだろう。私が指摘したいのは、なぜせっかく残ってきた文化遺産を破壊して町作りをするのかということである。 明・清時代の城壁や門を破壊しなくても十分町はきれいにできる。現代の技術をもってすれば遺跡と町作りの共存など朝飯前のはずである。 その姿勢があるかないかだけのことである。

 日本が20年前に歩んだ道、バブルに興じて開発、経済を最優先させ、貴重な文化遺産を次々と破壊してきたのと同じ過ちを今中国が繰り返している。 残念でならない。

(2004.9.19 伊勢新聞掲載)


Archeologueに戻る→
HP巻頭に戻る↑