日韓の文化財保護思想
〜ソウルから四日市へ〜



 9月初旬から古代朝鮮王国の一つ・百済くだらの王宮跡を訪ねた。 初秋の韓国はまだ蒸し暑さの残る日々で、各地の山城調査は肉体に相当なダメージを与えた。 それでも夕刻から連日始まる酒宴の焼き肉とビールを楽しみに、何とか11日間の調査を終えることができた。

 百済は660年、唐・新羅しらぎ連合軍の攻撃によって滅亡するまで、 現在の韓国の西部一帯を支配した国で、 漢城(ソウル)、熊津(公州)、泗(扶余)と都を次々と遷してきた。

 古代朝鮮の都は土塁どるいで囲われた山城(土城)を核にして形成され、 山城の周辺に王宮が設けられたものと考えられている。 漢城には南北に二つの土城が設けられた。 風納ふうのう土城と 夢村むそん土城である。

 現在のソウル市北部に残る風納土城の土塁は基底幅43メートル、高さ15メートル、周囲の長さ2キロの巨大なものである。 内部にはたくさんのビルが建ち、多くの市民が暮らしている。 しかしソウル市は、施設の建て替えのたびに発掘調査を実施し、貴重な遺跡が出ると施設を城外に移転させ、いずれ内部を公園化するという。

 南に位置する夢村土城は、ソウルオリンピックの選手村に予定されていたが、調査をすると多くの遺跡が良好に残っていると分かり、 急きょ選手村は城外に建設されることになった。 現在全体が見事な芝生に覆われ、日曜日や夕方になると老若男女が思い思いのスタイルでウォーキングやデートにやってくる。 言ってみれば東京のど真ん中に二つの広大な歴史緑地公園が所在するのである。

 公州もまた475年から538年まで熊津と称する都の置かれたところだ。都の北端近くに道路建設が計画され、事前調査が行われた。 ところが、道路によって削り取られる予定の場所から、 百済時代の皇帝のもがり宮跡が発見された。 皇帝の死後、復活を願って一定期間行う儀礼の場である。

 すぐそこに道路の橋脚も建設済みであった。しかし韓国の行政当局は見事に問題を処理した。 私たちが四日市市の久留倍遺跡で求めている、トンネル化による破壊の回避である。 明らかに韓国の方が経済状態は日本より悪いにもかかわらず遺跡の保護にお金をかけたのである。

 今、久留倍遺跡では、経費がかかるという理由でトンネル化は難しいとされる。国民の血税を「無駄」にはできないというのである。 ごもっともな意見である。しかし、国民の、市民の、大切な財産・文化遺産を遺すために予算をつぎ込むことが本当に「無駄」なのだろうか。

 韓国の実情を知った今、あらためて求めたい。「道路はトンネルで遺跡を避け、久留倍遺跡を景観と共に残してほしい」と。 周辺の緑や推定される古代東海道と共に「歴史の森」「壬申の道」を再現したいものだ。

(2004.10.17 伊勢新聞掲載)


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