未来に未練を残したくない
〜上野遺跡の杜〜



 ノーベル文学賞作家大江健三郎氏は最近のエッセー「未来への未練」でこんなことを書いています。

(前略)「将来、こういうことをやりたい、と思っている。逆に、こういうことが起こってはならない、起こりそうなら、 体を張ってもとどめたい、と考えている。それが、やりたいことはできず、起こってはならないことが起こりつつある。 その将来が、無念でならない。未来にかけて、未練がある・・・」(筆者註:中野重治『五勺の酒』)(中略) 元気のよい勢力は、あと五年を企ての目安としているようです。それを「後戻りできない道」に踏み込む五年とさせないように、 もう嘆くこともできない人らの「未来への未練」を伝え続けたいと思います。

今私たちの身の回りで起こっている様々な事象は、いずれも根が一つにつながっていると思えます。 戦争、迫害、殺人、売春、教育、報道、言論、文化等々、日頃個々人では嘆き、悲しみ、批判しながら、誰も真剣に議論しようとはしません。 ましてや行動に移す人は限られています。ほとんど諦めムードです。問題が文化となるともっと深刻です。文化は暇人のお遊びだそうです。 しかし、人は音楽を聴き、小説を読み、映画を見ます。酒を飲み、友と語らい、子供と戯れます。豊かさとは経済だけではないはずです。 にもかかわらず全ての尺度が「効率」です。息苦しくありませんか。

 先日、久居市上野遺跡に行きました。一瞬目を疑いました。あの豊かな杜が消え、赤土がむき出しになった丘の上は荒涼としていました。 友人の話によると、杜の住人だった狐や狸、キジや山鳥、カブトやゲンジがどこかに消えてしまったそうです。 行く場もなく彷徨ううちに、国道で犠牲になった動物がたくさんいるといいます。

そんな中で進む新たな「発掘」によって、14世紀前後にあった巨大な村の全貌が姿を現しました。 百軒を超える屋敷が、丘全体に拡がっているようです。遺跡の中央には広大な広場があり、 広場から雲出川に向かうメインストリートも発見されました。私はここが雲出川の港町の一つだと思います。 ただし、以前から不思議だったのは、どうしてこの町は百年足らずで姿を消してしまったのか、ということです。 しかし丸坊主になった現地に立って了解しました。ものすごい突風が吹き荒れるのです。 放棄された町はいつしか朽ち果て、杜となり動物たちの楽園となり、周りの村々の防風林として生き延びました。 21世紀の人々は、谷を埋め、木を切り倒し、港の歴史を消し去ってニュータウンを建設しようとしています。 「経済」のために建設される「ムラ」は自然の力に打ち勝つことができるのでしょうか。 私には新しいムラ人達が自然と苦闘する姿しか思い浮かびません。未来に未練を残さないため、歴史を遺し、杜を復活させようではありませんか。 まだ間に合います。

(2005.2.20 伊勢新聞掲載)


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