堅塩姫と伊勢の塩作り
〜地下に眠る製塩遺跡〜



 聖徳太子の祖母の一人は堅塩媛(きたしひめ)という。 欽明天皇の奥さんで、たくさんの子供を産み、その中から用明(ようめい)(すい)()両天皇もでた。 「堅塩」とは読んで字のごとく、堅い塩のことである。 名前の由来はわからないが、一般的には、 乳母(うば)が塩作りと関係のある氏族の出身であるとか、 堅塩のように真っ白で美しく育つことに期待を込めた命名などが考えられる。

 ところで伊勢の二見浦にある御塩(みしお)殿(でん)神社では、 毎年十月に焼き塩作りの神事が行われる。 六月に伊勢湾からひいた海水を塩田に引き入れ、 鹹水(かんすい)という濃縮された塩水を作って貯めておき、 これを鉄鍋で()って塩にする。 塩をさらに一辺十pほどの三角錐の陶製容器に詰め、 (かまど)に入れて焼き固めるのである。 出来上がった塩は、石のように堅く、にがりが消え、真っ白に変色し、神々しさが増す。伊勢神宮に奉納される特製の堅塩である。

 東海地方は古墳時代から平安時代まで塩作りの一大拠点であった。 特に尾張(おわり)国知多郡の塩は有名であった。 今日では海水浴場として知られる美浜町富具浦(ふくうら)野間(のま)から平城京へ税として塩が出されたことが、 塩俵に付けてあった荷札の発見によって明らかになった。半島のあちこちに塩作りの遺跡のあることも知られる。

 ところが不思議なことに、伊勢湾の西側の海岸を擁する三重県(旧伊勢国や志摩国)からは、 古代の製塩遺跡が一例も発見されていないのである。塩にまつわる七不思議の一つである。 知多半島の塩を使っていたという原料調達説もある。 奈良時代の初め、志摩国から出された(よう)(租税の一種)のリストには、 大量の塩を納税したことが記されている。だから、その内どこかで見つかるに違いないという楽観説もある。私は後の説を採る。

 塩作りの遺跡がないにも関わらず三重県内からは灰皿のような特異な形をした焼き塩用の土器が出土する。 焼き塩は古代に重用され、中世には廃れるが、近世に入って復活するという不思議な調味料である。 神様だけでなく、古代人はみんなこれが好物であったらしく、平城京や長岡京からは、各地から持ち込まれた焼き塩用の土器が出土する。 東海地方では、美濃国や伊賀国といった内陸部からも発見される。焼き塩に使った塩も伊勢や志摩地方で作ったと私は確信している。

 「藻塩焼く煙りたつ見ゆ…」と万葉集にうたわれた光景が地下に眠っているに違いない。 三重大学の地下から大規模な製塩遺跡を発見すること、私の夢の一つでもある。

(2001.11.18 伊勢新聞掲載)


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