大王の冠
〜伊勢国改革の旗手・井田川茶臼山の王〜



 亀山市の東部、鈴鹿川と安楽川が合流する少し西側に 井田川いだがわ茶臼山ちゃうすやま という名の古墳があった。 実に残念なことに、今から三〇年あまり前、心ない人々によって古墳の形もわからないまま完全に破壊されてしまった。 現在その地には井田川住宅団地ができている。古墳に葬られていた人物こそ、伊勢国に新しい思想と政権の息吹を伝えた人物であった。 もちろんその名を誰も知ることはできない。

 短期間の調査にもかかわらず、ようやく掘り出された遺物によって、私たちは壮大な歴史のドラマと接することができる。 それはわすか数aの金銅製の小片であった。 復原すると二山式ふたやましきと呼ばれる珍しい冠であることが判明した。 全国でたったの二十三例しか知られていない珍品である。古墳が造られた時期は西暦五四〇年前後のことである。 他に王の身につけた宝石類、馬につける様々な金銅製の飾り物、 黄泉よみの国で生きるための食事を入れた容器類も備えられていた。

 実はこれらの品々は、横穴式よこあなしき石室 という石で作った横長の部屋の中に納められていた。伊勢国で初めて採用されたお墓の構造であった。 死んだ王様が霊魂れいこんとなって石室の中で「生きている」 という観念もこの時から定着した。

 石室の中には石で作った棺桶が2基並べられていた。二人の人物が時間をおかず亡くなり、葬られたものと考えられた。 当時この地を支配した王夫妻であろうか。冠は手前に置かれたやや大きな石棺から見つかった。

 私はかって、京都府向日市にある 物集女もずめ車塚くるまづか という古墳を掘ったことがある。 そこからも二山式冠が出土した。当然両古墳には何らかの繋がりがあったはずである。

 二山式冠を副葬する古墳は、当時王権の中枢部であった大和からはほとんど出土せず、 京都や大阪、兵庫、滋賀、福井、三重などその周辺部や、九州熊本から関東茨城といった遠方で出土するのである。 馬の飾り金具、刀のつかの飾り等、多くの遺物にも共通性がみられる。 もちろんそれぞれの地域で初めて横穴式石室を用いた古墳である例も多い。

 私はこれらの共通点を総合して、冠を共有する古墳の王達は、 六世紀の初め、突然越の国(福井県)から招かれ王位についた 継体けいたい大王の支持者達であったと考えている。 地方から出現したスーパースターが世直しに立ち上がったのである。 井田川茶臼山の王は、継体大王の意を受け、伊勢国の「構造改革」を実行に移したのである。 全国に散らばる二山式冠は、グループを象徴する品として与えられた王冠であったと考えている。

 それにしても私たちは伊勢国のルーツを知るに欠かせない「証人」を既に失ってしまった。悲しいことである。

(2001.12.16 伊勢新聞掲載)


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