落とし物を捜しに
〜聖武天皇遊猟の地を求めて〜



 三重大学の考古学研究室では2月初旬から1ヶ月間、一志郡白山町で分布調査を実施している。 冬の間の休耕田や、芝草の枯れた丘陵地帯に入り遺跡を探す活動である。3月からは安濃町にも入り同様の作業を行う。

 分布調査とは古代人の落とし物捜し、ゴミ収集である。 目を皿のようにしてただひたすら地面を見つめ歩き回るという大変な体力と根気のいる作業である。 特に近年は、圃場整備ほじょうせいび事業が進み、 古代以来続いていた地形や地理環境が大幅に改められ、低いところは埋め立てられ、高いところは削られ、 奈良時代以来続いていた条里じょうりの跡も消え去り、 なかなか落とし物を見つけることが困難になっている。

 そんな中、白山町での第一の目標は聖武しょうむ天皇が740年に 伊勢国を行幸ぎょうこうした際、十日余り滞在し、 遊猟ゆうりょうしたというその故地を探し求めることである。 滞在地は河口頓宮とんぐう、 遊猟地は和遅野わちのだといわれる。 河口は現白山町大字川口の何処かにあるのだろうし、 和遅野は大字二本木にほぎが有力視されている。 今年の調査は雲出川くもずがわより北側を対象とするので、 河口頓宮の調査は来年の楽しみで、今年は遊猟地の調査に期待がかかる。

 実は和遅野からたくさんの土器が出土することは随分昔から知られ、一部発掘調査も実施されている。 その調査を担当し、以前からたくさんの土器や石器を採集されている白山中学校で教鞭を執られていた稲生進一先生に先日お会いする機会があった。 段ボール箱にぎっしり詰まった土器や石器は私たちの目を驚かすものばかりであった。 石鏃せきぞく石包丁いしぼうちょう石棒せきぼう等々の石器、弥生土器の数々、 どれも二千年余の時間を経たものとは思えない残りのいいものばかりであった。 残念ながら奈良時代の遺物はなく、聖武天皇遊猟の地の手懸かりは得られなかったが、 今回の調査でも拾うことのできた弥生土器の多さから、この地に大集落が広がっていることが明らかになった。

 分布調査も大詰めにさしかかった頃、私たちの宿舎に隣接する やまと小学校の鈴木妙子校長先生からこんなご依頼が舞い込んだ。 「子ども達に地元白山町、倭地区のお話をしてもらえませんか」と。 快くお引き受けし、調査の先頭に立って大活躍の大学院生の山田智真、三品典生両名と分担して「地域学習」の授業をすることにした。 今回の調査で拾ったものや稲生先生からお借りした遺物を手にとって見る子ども達の目は爛々と輝き、拙い私たちの話に興味津々の様子であった。 将来、この中から考古学者が出、河口頓宮跡や和遅野遺跡を解明してくれるかも知れない。そんなことを夢見ながら学校を後にした。

(2002.3. 伊勢新聞掲載)


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