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1.ご紹介いただきました山中章です。 
2.今日は宝塚古墳の過去から未来まで全てを語ろうという大胆な構成になっております。
3.宝塚古墳一族のドラマを語ろうというものです。
4.おまけにこの慣れないプレゼンテーションという、まるで理科系の研究発表のような装置を使っての初めての講演です。果たしてうまくいくのやら、あちこちで心配そうな顔が見えますが、お聞きいただければ幸いです。
5.もちろん眠くなった方はどうぞごゆっくりお休み下さい。
6.
1.ご紹介いただきました山中章です。 
2.今日は宝塚古墳の過去から未来まで全てを語ろうという大胆な構成になっております。
3.宝塚古墳一族のドラマを語ろうというものです。
4.おまけにこの慣れないプレゼンテーションという、まるで理科系の研究発表のような装置を使っての初めての講演です。果たしてうまくいくのやら、あちこちで心配そうな顔が見えますが、お聞きいただければ幸いです。
5.もちろん眠くなった方はどうぞごゆっくりお休み下さい。
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1.ご紹介いただきました山中章です。 
2.今日は宝塚古墳の過去から未来まで全てを語ろうという大胆な構成になっております。
3.宝塚古墳一族のドラマを語ろうというものです。
4.おまけにこの慣れないプレゼンテーションという、まるで理科系の研究発表のような装置を使っての初めての講演です。果たしてうまくいくのやら、あちこちで心配そうな顔が見えますが、お聞きいただければ幸いです。
5.もちろん眠くなった方はどうぞごゆっくりお休み下さい。
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1.ご紹介いただきました山中章です。 
2.今日は宝塚古墳の過去から未来まで全てを語ろうという大胆な構成になっております。
3.宝塚古墳一族のドラマを語ろうというものです。
4.おまけにこの慣れないプレゼンテーションという、まるで理科系の研究発表のような装置を使っての初めての講演です。果たしてうまくいくのやら、あちこちで心配そうな顔が見えますが、お聞きいただければ幸いです。
5.もちろん眠くなった方はどうぞごゆっくりお休み下さい。
6.
1.ご紹介いただきました山中章です。 
2.今日は宝塚古墳の過去から未来まで全てを語ろうという大胆な構成になっております。
3.宝塚古墳一族のドラマを語ろうというものです。
4.おまけにこの慣れないプレゼンテーションという、まるで理科系の研究発表のような装置を使っての初めての講演です。果たしてうまくいくのやら、あちこちで心配そうな顔が見えますが、お聞きいただければ幸いです。
5.もちろん眠くなった方はどうぞごゆっくりお休み下さい。
6.
1.ご紹介いただきました山中章です。 
2.今日は宝塚古墳の過去から未来まで全てを語ろうという大胆な構成になっております。
3.宝塚古墳一族のドラマを語ろうというものです。
4.おまけにこの慣れないプレゼンテーションという、まるで理科系の研究発表のような装置を使っての初めての講演です。果たしてうまくいくのやら、あちこちで心配そうな顔が見えますが、お聞きいただければ幸いです。
5.もちろん眠くなった方はどうぞごゆっくりお休み下さい。
6.
1.ご紹介いただきました山中章です。 
2.今日は宝塚古墳の過去から未来まで全てを語ろうという大胆な構成になっております。
3.宝塚古墳一族のドラマを語ろうというものです。
4.おまけにこの慣れないプレゼンテーションという、まるで理科系の研究発表のような装置を使っての初めての講演です。果たしてうまくいくのやら、あちこちで心配そうな顔が見えますが、お聞きいただければ幸いです。
5.もちろん眠くなった方はどうぞごゆっくりお休み下さい。
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1.ご紹介いただきました山中章です。 
2.今日は宝塚古墳の過去から未来まで全てを語ろうという大胆な構成になっております。
3.宝塚古墳一族のドラマを語ろうというものです。
4.おまけにこの慣れないプレゼンテーションという、まるで理科系の研究発表のような装置を使っての初めての講演です。果たしてうまくいくのやら、あちこちで心配そうな顔が見えますが、お聞きいただければ幸いです。
5.もちろん眠くなった方はどうぞごゆっくりお休み下さい。
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1.ご紹介いただきました山中章です。 
2.今日は宝塚古墳の過去から未来まで全てを語ろうという大胆な構成になっております。
3.宝塚古墳一族のドラマを語ろうというものです。
4.おまけにこの慣れないプレゼンテーションという、まるで理科系の研究発表のような装置を使っての初めての講演です。果たしてうまくいくのやら、あちこちで心配そうな顔が見えますが、お聞きいただければ幸いです。
5.もちろん眠くなった方はどうぞごゆっくりお休み下さい。
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1.ご紹介いただきました山中章です。 
2.今日は宝塚古墳の過去から未来まで全てを語ろうという大胆な構成になっております。
3.宝塚古墳一族のドラマを語ろうというものです。
4.おまけにこの慣れないプレゼンテーションという、まるで理科系の研究発表のような装置を使っての初めての講演です。果たしてうまくいくのやら、あちこちで心配そうな顔が見えますが、お聞きいただければ幸いです。
5.もちろん眠くなった方はどうぞごゆっくりお休み下さい。
6.
1.宝塚古墳が造られた時代は前方後円墳の時代だといわれます。
2.前方後円墳体制という前方後円墳をシンボルとする支配体制が形作られていたのだとする有力な説があります。
3.これ(資料の6頁の左真ん中の図をご覧下さい)がそれです。都出比呂志先生の説です。大和の巨大な前方後円墳を頂点に、地方の小さな方墳に至るまでのピラミッド形の支配体制が形成されて居たのだというのです。
4.宝塚が造られた5世紀はこれがさらに強化され、朝鮮、中国へと日本列島の王権が国際舞台に進出し、新たな摩擦の要因を造る時代でもありました。
5.国際舞台へ進出するには国内の安定が不可欠です。伊賀、伊勢に相次いで巨大な前方後円墳が建設されるのはこのことと無縁ではありません。
6.この新たな地方支配の制度が文献史学の研究では国造制と呼ばれています。
7.
1.古墳時代は、箸墓のある三輪山の麓から始まったと考えられています。私はいずれ、この地域から邪馬台国が発見されると思っています。初期大和王権は地方の豪族との同盟関係の印として、三角縁神獣鏡を配布しました。
2.ところが5世紀にはいると大和王権の支配の在り方に変化が見受けられます。
3.まず、倭王権が国際舞台に本格的に登場してきます。
4.一昨日、日本政府は金正男氏の不法入国問題で揺れましたが、まさにこの頃日本列島の王権は現在の北朝鮮あたりまで視野に入れた外交を幅広く展開しようとしていました。
5.一方で、国内支配の新たなシステムの構築が模索され始めていました。
6.地方の豪族の新たな掌握が開始されます。彼らを国造という形で大和の王権が承認する方法が採られ始めます。
7.さらに、屯倉という大王の直轄領が地方に形成され始めます。大和の地方への直接進出です。
8.
1.その地方進出を具体的に物語る好例が、実はこの三重県にあるのです。
2.左の図(皆さん方の資料の表紙に貼ってある図の右端、飯高、飯野、多気地域という項目のところを見て下さい),ここにひときわ大きく宝塚古墳が記されています。ずーっと横に見ていただくと解りますが、頭一つ飛び出している古墳があります。これが伊賀にあります石山古墳です。先日の高橋先生のお話で度々出てきたはずですから詳細は省きます。
3.この石山古墳から三重県の新たな古墳時代の歴史が始まるのです。
4.それまでの三重県の古墳は前方後方墳や円墳が中心でした。しかし石山古墳以後、がらっと変わり、前方後円墳が主力となります。特に、伊賀地域では、美旗古墳群という、皆さんの資料の一番最後、6頁にある図のように巨大な前方後円墳群が続きます。まさに前方後円墳体制と言うに相応しい状況です。
5.この変化の元は大和にあります。
1.もう一度資料の6頁をご覧下さい。左下隅に大和、河内、和泉の古墳の変遷を示した図があります。 2.大和王権の変遷が一目で分かる図です。先ほど申しましたように、大和東南部に箸墓を初めとして行燈山、渋谷向山等の巨大な前方後円墳を造った王権は、4世紀後半に入り、大和東北部にその拠点を移します。
3.ちょうどこの頃の王権が伊賀に進出し、宝塚へと勢力を伸ばすのです。
4.宝塚古墳が大和といかに関係が深いかは、もう語り尽くされたと思います。
5.敢えて言えば、宝塚掌握の目的は私は海洋航海技術だと思います。舟形埴輪は、霊魂を運ぶ船ではないと思っています。 6.国際舞台へ展開していくに際し、日本列島の王権は必ず船を必要とします。大阪湾や瀬戸内の航海技術だけでなく、東海のそれにも目を付けたと考えるべきではないしょうか。 7.こうして大和の支配下に入った伊勢・伊賀地域は、大きくそのスタンスを大和へと移します。
8.
1.伊勢地域にとって大きな問題は、いつ成立したか詳細は不明ですが、新家屯倉の設置であったと考えられます。
2.宝塚を掌握した後、さらに積極的に伊勢地域を支配するため、屯倉が設置されます。
3.その担い手は物部氏であったと考えられますが、その地がこの中勢地域であったことは、いかに大和王権がこの地に注目していたかが解ります。
4.この様な5世紀に始まる地方支配の新たなスタイルを、考古学的に追及できる材料に環頭太刀があります。伊勢では環頭太刀にも興味深い事例があります。
5.そして、壬申の乱において、なぜ伊勢が大海人皇子の拠点になったのか、この点についても新家屯倉がヒントを与えてくれます。
1.これが環頭太刀です。
2.新納泉さんや清水みきさんの研究によれば、これらは当時の中央豪族と深く関係するというのです。
3.した右が単龍環頭太刀、左が頭椎太刀、そしてこれが双龍太刀です。
4.単龍が大伴或いは物部氏、頭椎が百済系、そして双龍が蘇我氏との関係が深いと言われます。
5.この三重の地にはまず単龍が広まり、単龍が消える時期に双龍が入ってきます。
6.私はこれは中央の物部氏と蘇我氏の対立抗争の姿を反映していると考えています。
7.これを伊勢の地に置き換えると、この様になります。
8.宝塚掌握後、物部氏をとうして大和王権の支配拠点としての新家屯倉を造ったが、その後蘇我氏の権力掌握によって伊勢の地でも覇権が交替し、伊勢全域が蘇我氏を通して大和王権と連なることになる、と。
1.ところで私たちの大学では2年前から、員弁郡大安町で宇賀新田古墳群の発掘調査を行っています。
2.この調査を通じて興味深い事実が分かって参りました。
3.この古墳群は6世紀の後半から7世紀の中頃にかけて造られた古墳群です。
4.全部で11基ありますが、その内の古いものは当時、この北勢地域ではあまり造られなかった石室構造を持ち、新しくなるにつれ地元形へ変化することが解ったのです。
5.初期の人々はどうも美濃南西部あたりからやってきたようです。
6.私はこれを次のように解釈しました。
7.この地に立って解ることは後の鈴鹿関、不破関とちょうど同じ距離の地点にあるということです。
8.つまり、古墳群を設置した豪族は、両交通の要衝を押さえるためにやってきたのだと考えたのです。
1.少し今関心のある事柄についてご紹介しておきましょう。第一のテーマとの関係では、次のようなものがあります。
2.これは昨年発見された推古天皇とその子竹田皇子を合葬したと考えられている古墳です。
3.推古天皇は626年になくなっていますから、後期古墳末の時期です。一辺40bの方墳ですから、宝塚と比較してもいかに小さくなったかが解ります。同じ古墳時代でもお墓の位置づけがわずか200年の間に大きく変わったのです。
4.西側が推古天皇のお墓です。息子と少し違うのは、この大きな石の上に石で造った扉が設けられていたことです。
5.推古天皇は、遺言で、お墓をたいそうにしないで息子と一緒に入れて欲しいと伝えていたのです。
6.なぜ7世紀には天皇のお墓も小さくなったのか、5世紀には前方後円墳を支配のシンボルとしたのか、これを考える上で参考になるのが植山古墳と宝塚古墳なのです
7.既に飛鳥寺が建立され、王の権威は、古墳ではなく、寺院伽藍で示そうとする時代に入っていました。
8.
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1.宇賀新田古墳群の造営が終わる頃、伊勢の地に新たな文化がやってきます。
2.仏教文化です。日本の中でも地方に仏教文化が伝わった最も早い地域がこの伊勢の国でした。
3.その証拠品がこの瓦です。百済大寺式といって、日本で初めて国営の寺として建設されたのが飛鳥、香具山の北側から先年発見された百済大寺です。そのお寺と同じ型で造った瓦が桑名市の額田廃寺からしゅつどしているのです。
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1.これは、昨年から調査が続けられている出水の酒舟石を配置していた園池跡です。造ったのは天智・天武両天皇のお母さん・斉明天皇ではないかといわれています。南北200bはあろうかという広大な池です。 2.内部に中之島が設けられ、この春の成果ではこの様に中之島を繋ぐ陸橋が発見されました。666年の年号のある木簡も発見され、推定が正しいことも判明しました。
3.この池の護岸状況をよく見ておいて下さい。
4.これは新羅の都慶州にある皇太子の宮殿として機能した雁鴨池です。復原が激しいのでよく見えませんが、この池の造り方とも多くの共通点を有します。斉明天皇の時に新羅との緊張関係がまし、戦争になるのですが、当時の日本は朝鮮の諸国と複雑な緊張関係を有し、文化交流も盛んでした。 5.中国や朝鮮の文化を採り入れた新しい日本文化の形成、その姿をこれらの遺跡の比較から知ることができます。
1.右は酒舟石に水を導く貯水槽です。先の池の南端から発見されました。左が雁鴨池に水を採り入れる施設の一部です。
2.造られた時期はほぼ同じです。実によく似ていますよね。
3.5世紀の中国・朝鮮・日本の三つどもえの東アジアの覇権争いが、日本列島に様々な文物を伝えたのです。
4.その到達点が奈良時代の都・平城京に代表される律令国家だったのです。
5.この様な国際交流が活発になったのは、実は宝塚古墳が建設された5世紀の頃からなのです。
1.古墳時代の幕開け時、二人はあい戦う側にいた。
2.歴代の親族は黒塚のような竪穴式石室に葬られ、鏡を副葬された。
3.松姫の仕事の一つに水の祭りを居館の施設で行うことがあった。
1.伊賀地域・石山古墳にみる大和の影
2.築かれた橋頭堡
3.間髪入れずに宝塚との同盟関係の成立
4.石山の祭祀を宝塚へ。
5.松姫の尽力
1.航海に長けた人物:宝王子
2.大和の有力者の娘:松姫
3.大和王権の地方支配の変更
4.国造制への第一段階
5.大和王権の朝鮮半島への進出